旭川市議会 2023-02-21 02月21日-02号
キャビンアテンダントといえば、私の時代、昭和の私の時代はスチュワーデスと呼んでいましたからね。僕は、女性の憧れの職業だと思うんですがね。飛行機で、もう日本全国、世界も仕事で回れるという、恐らく、高花さんも1回はなりたいなと思ったんじゃないかと思いますが、実は、このキャビンアテンダントに忘れられない思い出が私はありまして、それをちょっとお話ししたいと思います。
キャビンアテンダントといえば、私の時代、昭和の私の時代はスチュワーデスと呼んでいましたからね。僕は、女性の憧れの職業だと思うんですがね。飛行機で、もう日本全国、世界も仕事で回れるという、恐らく、高花さんも1回はなりたいなと思ったんじゃないかと思いますが、実は、このキャビンアテンダントに忘れられない思い出が私はありまして、それをちょっとお話ししたいと思います。
方川氏は、音更町木野大通東8丁目5番地19にお住まいで、昭和24年3月19日のお生まれの満73歳でございます。方川氏は、議会議員として現在2期目であり、その高潔な人格と豊富な識見につきましては皆様も御存じのことと存じます。 なお、方川氏の御経歴につきましては、お手元に資料を配布させていただいておりますので、説明を割愛させていただきたいと存じます。
さらには、昭和40年代から始まった、特に、山川議員のほうが詳しいと思いますけれども、市街地の再開発ということでやってきた。そういった中で、浮き沈みというか、相当激動の中でここまで来て、御心配なさったとおりだと思います。
◎上下水道部長(沖本亨) 水道料金、下水道使用料の減免制度は、昭和40年代から昭和50年代の水道、下水道の拡張整備普及時期におきまして度重なる料金改定を実施していた際に、その負担の緩和を図る目的から、市の福祉施策として導入したのが始まりで、現在は、生活保護世帯、児童扶養手当受給世帯、特別児童扶養手当受給世帯、独居高齢者世帯、障害者のみの世帯、社会福祉施設、公衆浴場の7区分を対象として実施しております
そういう中で、ぜひ議員の皆さん方にも知ってほしいんだけれども、加工原料乳、いわゆる暫定措置法というのが昭和30年代にできてからもう今、昭和で言ったら97年ですよ。もう50年もそれ以上にもわたってのこの制度。この制度を、山川さんがおっしゃっていただきました。その当時、藤丸前でマンホールに牛乳を色をつけて流した。
私ごとで大変恐縮でございますが、私が高校3年のときですから、今から51年前、昭和46年8月に香川県丸亀市で開催された高校総体、いわゆるインターハイの男子バレーボールに福島県代表で私は出場いたしました。来年はインターハイの男子バレーボールが本市で開催されるとのことで、10代の青春をバレーボールにかけて過ごした当時を思い出し、感慨深いものがあります。
本町は、市街地の拡大による人口増を目指し、昭和40年代から本格的に柳町や木野、緑陽台、北陽台、雄飛が丘などの宅地造成と分譲に着手するとともに、道路や公園、上下水道などの都市基盤と、文化センターをはじめとする社会教育施設やコミュニティセンターなどの公共施設を整備するなど、安心して生活できる環境づくりに取り組んでまいりました。
◎社会教育部長(高田敏和) 公会堂につきましては、平成25年に大規模改修を実施し、耐震改修を行っておりますが、昭和33年に建設され、築64年の建物となってございます。現在は、建物、設備の点検や必要な修繕を実施しながら使用しておりますが、鉄骨鉄筋コンクリート造りの建物は、一般的に物理的耐用年数は65年と言われてございます。
こうした課題を踏まえ、今後の農村部の水道施設の整備について検討したところ、川西浄水場につきましては昭和57年に供用開始されて以降、施設の老朽化が進み施設の更新時期が迫っていることや、災害時の水道水の安定供給についても課題があり、優先的に整備を行う必要があると考えております。
2000年のとき、そのときはやはり昭和52年のときの噴火、もうすぐ噴火するのでないかという状況です。逆に52年の、私たち子供のときだったのですが、父親たちからまだまだ半年噴火しないと。昭和新山のときの噴火を話しております。そのとき、時代、時代によって危機意識が全く違っておりまして、有珠山の噴火の歴史をたどっていくと、毎回毎回様々な噴火を繰り返しているわけです。
昭和56年の水害を目の当たりにした市民にとって、安心のできる施設が完成したのでありますが、一方、平成24年頃からは、その最上段の土地利用について市議会でも議論がされてきました。先輩議員も私もその利活用について何度も質問してきているわけでありますが、一向に進む気配がありません。
この頃、昭和初頭の恐慌と不況の中で、いわゆる欠食児童の発生が社会問題化していました。欠食児童とは、もともとは文部省用語です。経済的に貧しく昼の弁当を学校に持ってこられない子どもたちを指していました。それが1931年の東北大凶作以降、農山村の困窮が加速化して、昼のみならず日常の食事さえ満足に食べられない子どもたちのことを示すようになりました。 この数が20万人とも言われました。
野﨑氏は、昭和62年3月、北海道大学を卒業された後、旭川市に奉職し、福祉保険部保険制度担当部長、福祉保険部長、学校教育部長、総務部長などを歴任され、現在、教育委員会教育長の要職にある方であります。 野﨑氏は、教育行政に関し、豊かな識見を有されており、かつ、人格も高潔な方でありますことから、本市の教育長として適任であると存じますので、何とぞ御同意賜りますようお願い申し上げます。
帯広の森の野球場は、自衛隊の補助をいただき、昭和30年に建設され、同じ制度を活用して建設された野球場、旭川のスタルヒン球場です。基本的には同じ規模で構造も同じと聞いてます。 しかしながら、スタルヒン球場には、ナイター設備が整い、外壁もしっかり塗装されてるため、同じ球場なのですが、帯広の森野球場が若干見劣りもいたします。 もう一つは、陸上競技場のウレタン舗装の劣化とその色の問題です。
坂田葉子氏は、昭和58年3月、旭川医科大学医学部を卒業された後、国立療養所道北病院小児科医長を経て、現在は、医療法人社団丘のうえこどもクリニック院長をされる傍ら、一般社団法人旭川市医師会理事、北海道小児科医会道北地区理事として活躍されている方でございます。
川井さんは、ひびき野西町2丁目1番地21にお住まいで、昭和50年9月15日生まれの満47歳、職業は会社員をなされており、今回で3期目であります。 川井さんの略歴等につきましては、お手元に資料を配布させていただいておりますので、御参照いただきたいと存じます。
あと、小規模特認校の、今現在下士幌小学校でありますけれども、申込みは令和2年から、今まで、令和元年度までは昭和小学校で特認校の制度を取っておりましたけれども、廃校になったということで、閉校したということで、令和2年度から下士幌小学校のほうを特認校としております。令和2年度に1名申込みというかありまして、3年度、去年はありません。現在に至っておりまして、今は1名が在籍しております。以上です。
◎地域振興部長(三宅智彦) 市内におけますバス路線につきましては、旭川電気軌道株式会社及び道北バス株式会社の2社により運行いただいておりますが、市内の年間利用者数について、昭和60年代までは毎年3千万人規模で推移しておりましたが、少子高齢化が進む中、長期的に減少が続き、20年前の平成14年度には年間で約1千700万人、5年前の平成29年度には約1千100万人となり、新型コロナウイルスの影響も加わり、
町有地等管理費については、普通財産として管理しております町有地の草刈り等の維持管理費のほか、旧昭和小学校の後利用に伴う駐車場整備費などです。 建物災害共済分担金については、町が所有する建物及び設備工作物630件分の共済分担金であります。 基金積立金については、地域振興基金ほか10の基金へ支出したものです。 87、88ページをお開きいただきたいと存じます。
また、昭和63年に帯広大谷短期大学が本町にキャンパスを移転し、新たに介護福祉専攻が開設され、福祉を志す若者が多く町内に居住することとなったためモデル的に進められてきたという経緯でスタートしてから30年以上がたちました。この30数年の歴史の中で、福祉制度の拡充など多くの改善がありました。